色即是空とはどういう意味か|般若心経が説く空の考え方

今日は、「色即是空」という四文字についてご紹介します。

般若心経のなかで、いちばん有名な言葉だと思います。経典を読んだことがなくても、この四文字は知っているという方は多いはずです。

ただ、有名なぶん、独り歩きしやすい言葉でもあります。ここでは経典のどこに置かれているのかというところから、順番に見ていきます。書き手の視点からの一言も、ところどころで挟ませていただきます。

目次

色即是空が置かれている場所|般若心経の前半

色即是空は、般若心経の冒頭近くに出てきます。

経典は「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」で始まり、その直後に弟子の舎利子への語りかけが入ります。そこに置かれているのが、次の一続きです。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是

有名な「色即是空 空即是色」の八文字は、この流れのなかにあります。前に「色不異空 空不異色」があり、後ろに「受想行識 亦復如是」が続く。四文字だけを切り出すと、この前後が見えなくなります。

全文の流れは般若心経の全文と現代語訳にまとめていますので、あわせてご覧ください。

「色」とは何を指すのか|色彩のことではない

まず「色」から見ていきます。

ここでの「色」は、色彩のことではありません。仏教で「色(しき)」というときは、物質や、かたちを持つものを指します。目に見える物体、そして私たちの肉体もここに含まれます。

冒頭の「五蘊皆空」の五蘊、つまり色・受・想・行・識という五つの要素のうちの、最初のひとつです。受は感じること、想はイメージすること、行は意志の働き、識は認識する働き。人間はこの五つの寄せ集めでできている、という前提が置かれています。

色墨で書く作品と結びつけて「色即是空の色は色彩のこと」と説明されることが時々ありますが、経典の用法としては違います。私は色を使って般若心経を書いていますが、それとこの一文字は別のものです。

「空」とは何を指すのか|何もないという意味ではない

次に「空(くう)」です。

空は「何もない」ではありません。あらゆるものは、他との関わりのなかで一時的に成り立っているだけで、それ自体で完結した実体を持たない。そういう見方を指します。

たとえば一枚の作品は、紙と墨と、書いた人の手と、その日の湿度と、そこに至るまでの練習の積み重ねが集まって、たまたまその形になっています。どれかが違えば別のものになりますし、時間が経てば紙も墨も変わっていきます。「作品」という固定した実体がどこかにあるわけではない、という見方です。

存在を否定しているのではなく、単独で永久に変わらない何かとしては成り立っていない、と述べている。ここが「空」を読むときの分かれ目になります。

色即是空と空即是色|なぜ二度繰り返されるのか

「色即是空 空即是色」は、同じことを二方向から述べています。

前半の「色即是空」は、かたちあるものはそのまま空である、という向き。後半の「空即是色」は、空はそのままかたちあるものである、という向きです。

なぜ二度言うのか。片方だけだと偏るからです。

「色即是空」だけを読むと、目の前のものには意味がない、という受け取り方に傾きます。そこで「空即是色」が置かれる。空だからといって、目の前のかたちが消えてなくなるわけではありません。むしろ実体を持たないからこそ、いま目の前にこうして現れている、という読み方になります。

さらにその手前には「色不異空 空不異色」が置かれています。こちらは「異ならない」という言い方で、両者が別物ではないことを先に述べたもの。「即是」はもう一歩進んで「そのままそれである」と言い切っています。同じ内容を、段階を上げながら二度重ねている構造です。

そして直後に「受想行識 亦復如是」と続きます。感じることも、イメージすることも、意志も、認識も、同じであると。つまりこの一節は物質だけの話ではなく、心の働きまで含めた全体について述べていることになります。

誤解されやすい読み方|虚しさの言葉ではない

日常のなかで「色即是空」が使われるとき、「すべては空しい」という意味で語られることがあります。

これは経典の趣旨とは少し離れます。経典の後半では、否定の言葉が延々と並びます。無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無苦集滅道。何もない、何もない、と続く。読んでいて息苦しくなる方もいらっしゃると思います。

けれどこの否定は、価値を打ち消すために置かれているのではありません。固定して握りしめているものを、一度ほどくために置かれています。ほどけたところに「心無罣礙」、心を覆うものがなくなり、恐れがなくなるという流れになっている。経典は最後、真言と共に肯定へ向かって閉じます。

四文字だけを取り出すと、この流れが見えません。虚無の言葉として受け取られてしまうのは、切り出されたことによる面が大きいと思います。経典の成り立ちについては般若心経とはでも触れています。

書き手としての話|七度あらわれる「空」

ここからは、書き手としての話に戻ります。

二百六十二文字を通して書いていると、「空」という字に何度も出会います。数えてみると七回。五蘊皆空、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、是諸法空相、是故空中無色。前半に集中していて、六回目までが冒頭からの短い範囲に収まっています。

同じ字が短い間隔で繰り返されると、そこだけ浮かないように書くのが難しくなります。一文字を大きく書く作品なら、その一字にすべてが懸かります。けれど般若心経のように長い文章を書くときは、一字ごとの見せ場より、全体の流れのほうが先に立ちます。七つの「空」も、一字ごとに違う表情をつけるのではなく、前後に合わせていきます。揃えることのほうが、この場合は大事だと思っています。

四文字だけを切り出して書く場合も、私は「空即是色」まで入れて八文字で書くほうが落ち着きます。前半だけで止めると、言い切って終わったような印象が残ってしまう。二つ揃って初めて、行ったり来たりする言葉になります。

レインボー般若心経では、二百六十二文字のなかにこの八文字も含まれています。作品のどのあたりに置かれているかを探しながら眺めていただくのも、楽しみ方のひとつです。作品の成り立ちについてはレインボー般若心経とはをご覧ください。

この記事を書いた人

岩手県遠野市生まれ。外資系船会社勤務を経て、結婚・子育てをしながら書道の道へ。文化書道にて免許を取得後、板橋の書道大学で漢字・かな・古典臨書・般若心経を学ぶ。吉川蕉仙氏に師事し、日展入選2回、読売書法会幹事を務めるなど高い技術を持つ。2016年より田園調布にて「清景書道教室」を主宰。パリのジャパンエキスポ招待出展や、銀座・麻布十番での個展など国内外で活動。「日常に溶け込み、愛でていただける書」をコンセプトに、日常がより充実する書道教室を展開している。

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