今日は、般若心経の全文と、その現代語訳をご紹介します。
私は書家として、このお経を何百枚と書いてきました。ただ、書きながら一文字ずつ意味を追っているかというと、正直そうでもありません。それでも、区切りのいい場所や、筆が止まりやすい場所は、体で覚えています。
ここでは経典を最初から最後まで通して読んでみます。書き手の視点からの一言も、ところどころで挟ませていただきます。
般若心経が説いていること|二百六十二文字の位置づけ
般若心経の正式名称は「般若波羅蜜多心経」、あるいは冒頭に「摩訶」を付けて「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。七世紀に唐の僧・玄奘三蔵が漢訳したものが、現在の日本でもっとも広く読まれている版です。
もともと般若経と呼ばれる経典群は、たいへんな分量を持っています。六百巻に及ぶ大般若経がその代表で、通読するには途方もない時間がかかります。般若心経は、その膨大な教えの核心だけを二百六十二文字に凝縮した経典です。「心経」の「心」が心臓や核心を意味するのは、そのためだといわれます。
短いために全文を暗誦できる方も多く、宗派を超えて読み継がれてきました。写経の題材として選ばれることが最も多い経典でもあります。経典がどのように生まれ、日本まで伝わってきたのかは般若心経の歴史で、経典そのものの概要は般若心経とはで、それぞれ詳しくお話ししています。
般若心経の全文|玄奘三蔵訳の二百六十二文字
以下が全文です。読み下しではなく、漢文のまま掲載します。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
現代語訳(前半)|観自在菩薩から不増不減まで
冒頭は、観自在菩薩が深い智慧の修行を進めていたときの話から始まります。
観自在菩薩が、深い般若波羅蜜多の修行を行っていたとき、人間を成り立たせている五つの要素は、すべて空であると見きわめました。そしてあらゆる苦しみを乗り越えました。
五つの要素とは、色・受・想・行・識のことです。色は物質や肉体、受は感じること、想はイメージすること、行は意志の働き、識は認識する働きにあたります。人間はこの五つの寄せ集めでできている、という前提がここに置かれています。
続いて、弟子の舎利子に向けた語りかけが始まります。
舎利子よ。物質的なものは空と異なるものではなく、空も物質的なものと異なるものではありません。物質的なものはそのまま空であり、空はそのまま物質的なものです。受・想・行・識についても、まったく同じことがいえます。
舎利子よ。あらゆる存在は空を本質としています。ですから生じることも滅することもなく、汚れることも清らかになることもなく、増えることも減ることもありません。
ここで語られているのは、ものごとに固定した実体はない、という見方です。存在しないという意味ではなく、単独で永久に変わらない何かとしては成り立っていない、という意味になります。
現代語訳(後半)|是故空中無色から真言まで
後半は、否定の言葉が続けざまに並びます。
ですから空のなかには、物質もなく、感じることも、イメージすることも、意志も、認識もありません。目も耳も鼻も舌も身体も心もなく、形も声も香りも味も触れる感覚も、心の対象もありません。目に見える世界もなく、意識の世界もありません。
迷いもなく、迷いが尽きることもありません。老いや死もなく、老いや死が尽きることもありません。苦しみも、その原因も、苦しみの消滅も、そこに至る道もありません。知ることもなく、得ることもありません。もともと得るものなどないからです。
修行する者は、この般若波羅蜜多によって、心を覆うものがなくなります。心を覆うものがないから、恐れがありません。あらゆるさかさまな思いから遠く離れ、やすらぎに至ります。
過去・現在・未来のすべての仏も、この般若波羅蜜多によって、この上ない正しい悟りを得ました。
ですから知ってください。般若波羅蜜多は、大いなる力を持つ真言であり、明らかな真言であり、この上ない真言であり、比べるもののない真言です。あらゆる苦しみを取り除き、偽りがありません。
そこで般若波羅蜜多の真言を説きます。その真言はこうです。
ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか
末尾の真言は、意味を訳さず音のまま唱えるのが習わしとされています。あえて訳せば「往き往きて、彼岸に往き、彼岸に完全に到達した者よ、悟りよ、幸いあれ」といった意味になります。
経典を貫く「空」という見方
全文を通して読むと、中心にあるのは「空」という一語だとわかります。
空は「何もない」という意味ではありません。あらゆるものは、他との関わりのなかで一時的に成り立っているだけで、それ自体で完結した実体を持たない。そういう見方を指しています。前半で「色即是空」と述べられ、後半で「無」が並べ立てられるのは、同じことを言い換えているにすぎません。
否定の言葉が続く箇所は、読んでいて息苦しく感じられることもあります。けれどこの否定は、価値を打ち消すために置かれているのではありません。固定して握りしめているものを、一度ほどくために置かれています。ほどけたところに、心を覆うものがなくなり、恐れがなくなるという流れになっています。
二百六十二文字のなかで、前半が原理の提示、後半が否定による展開、末尾が真言。この三段構えを意識すると、全体の呼吸がつかみやすくなります。写経をされる方にとっても、区切りの目安になるはずです。書く手順や道具については写経のやり方でお話ししています。
色即是空という四文字について
全文のなかで最も知られているのが「色即是空 空即是色」の八文字でしょう。経典を読んだことのない方でも、耳にしたことがあるはずです。
ただ、この四文字だけを取り出して理解しようとすると、かえって意味を取り違えやすくなります。前後に置かれた「色不異空 空不異色」との関係、そして後半に続く「無」の連なりまで含めて初めて、この一節の位置がはっきりします。
前半で「そのまま同じである」と言い、後半で「何もない」と言う。矛盾しているようですが、どちらも同じ一つのことを、角度を変えて述べています。四文字だけが独り歩きしやすい言葉だからこそ、全文のなかで読んでいただきたいところです。
書き写すときに立ち止まる場所
ここからは、書き手としての話に戻ります。
全文を書いていると、筆が止まりやすい場所がいくつかあります。ひとつは「是故空中無色」から始まる否定の連なりで、「無」という字が何度も出てくるところ。同じ字が続くと、どうしても書き方が単調になります。私は一字ずつ表情を変えようとはせず、むしろ揃えて書くようにしています。並んでいること自体に意味がある箇所だと思っているからです。
もうひとつは末尾の真言です。ここだけ漢字が音を写したものになっていて、意味を持ちません。ここは、文字を書いているというより、音を並べている感覚に近いのです。
レインボー般若心経では、この二百六十二文字を色墨で書いています。どこで色を変えるかは作品ごとに違いますが、区切りの意識は、今お話しした三段構えとおおむね重なります。作品の成り立ちについてはレインボー般若心経とはをご覧ください。
意味を知って作品を眺めていただくと、色の変わり目が経典の区切りと重なっていることに気づかれるかもしれません。そう見ていただけたら嬉しく思います。
レインボー般若心経の作品は「レインボー般若心経の作品一覧」からご覧いただけます。二百六十二文字がどんなことを説いているのかを知ったうえで、色と共に感じていただけたら幸いです。
